原作と映画との違いは多々、ありますが、映画は映画、原作は原作としてそれぞれ楽しめるのではないかと思います。
「耳/す/ま」の基盤は変わらないし、雫が翻訳する「カ/ント/リー/ロ/ード」は映画だからこそできる手法だと思います。
ちなみに雫が訳し、聖司が読んだ「コンクリートロード」も好きです。
ずっとエンドレスで「コンクリートロード」とテンポよく流れるあのシーン。
一件優等生に見られる聖司の少年らしさがよく出ているのではないでしょうか。
映画における「耳すま」は、中学生らしくも受験に悩み、将来を考えたり、親がウザかったり、時には恋愛に悩んでみたり、初心にかえるというか、うまく言葉にはできないけど、こういう気持ちを忘れちゃいけないなと思い出させてくれます。
個人的には司書の父親が、データ化に追われ、当たり前だった図書カードがなくなることについて、雫同様切なかったりします。
今の子は既にデータ化されたカードで本の貸し出しを行い、図書カードだけの関係というものが味わえないのは、ちょっと可哀想だなと思います。
図書カードだけでなく、便利すぎる世の中っていうのも、ちょっと考えものだなと今になって思います。
あのネタは平成の世にはできないものだよね。
ついこの間まで昭和だったはずなのに。
進化し続けることはいいことかもしれないけれど、停滞が悪いとは限らない。

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